■批評祭参加作品■ アンファンス・フィニ/和泉 輪
 
が本流に注ぎこみ、一つの「大きな川」を形成する。やがてそこから幾つもの分流が分かれ、そして分かれた分流はまた異なった新しい名前で呼ばれることになる。「大きな川のように私は人と訣れよう」とは、一番美しかった青春時代、思い出、また その友人たちから(さながら分流のように)訣れてゆくという決意の表明なのだ。別れるのではなく「訣れる」。そのように読むとこの行の最後「ああ哀れな私よ。」も、悲観しているというよりは、未来に対して漠然とした不安を抱えた自分自身を、少々 自嘲気味に表現したものと受け取れないだろうか。


僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。

この詩を愛する人で、この行が一番好
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