■批評祭参加作品■ アンファンス・フィニ/和泉 輪
まりにも美しすぎるイメージだ。見てはいけないものを見たような、まるで世界の秘密を知ってしまったかのような。知らなかったではすまされない、空に階段があることを知ってしまった人は一体どうするべきなのか。二行目「約束はみんな壊れたね。」から引き続き用いられている寄り添うような優しい文体は、最終行「僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。」でもう一度使われる。そう、この印象的な文体は「僕」に対して語りかけている内容を表している。時系列的な順序で言えば次の行に出てくる「私」が現在に位置し、「僕」の方が過去の「Enfance finie」を象徴する存在であると言えるだろう。
{引用=今日記憶の旗が落ち
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