ヒューム「ベルグソンの芸術論」(2)/藤原 実
 
覚よりも高いところにのぼろうとしないで、知覚を掘り下げ拡げるためにそのなかに沈んでいくと考えてごらんなさい。われわれがその中にわれわれの意志を入れこみ、その意志が拡がるとともにわれわれの眺めも拡げていくと考えてごらんなさい。
そうすれば、われわれは感覚や意識の与えられた条件を少しも犠牲にしないような哲学を得ます。そこではどんな性質も、事象のどんな眺めも、ほかのすべてを説明するという口実をもってそれにとって代わるということがなくなります。」
      (ベルクソン「変化の知覚」)


 
抽象化を嫌い、純粋な感覚のみを記述しようとするのはイマジズムに限らず十九世紀後半から二十世紀にか
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