ツッコミキャラは耐えまくる。−仲仲治さんに/佐々宝砂
が真実かどうか私にはわからない。私は梶尾真治じゃないからね。でも、ま、たぶん、梶尾真治は照れ屋だと思う。私が照れ屋であるのと同程度には。非常にどうでもいい話だが、私は恥ずかしがってる人を見ると恥ずかしくてたまらん。梶尾真治のある種の小説も恥ずかしくてたまらん。太宰治も恥ずかしくてたまらん。恥ずかしくてたまらんからこの話はやめて、えーと。
とにかく話者と主人公と作者は同じとは限らん。むろん、同じでもいいけど。私がこのことにこだわるのは、私個人が誤解されたくないからではなく(それもちょっとはあるが)、文学あるいは芸術の常識としてこのくらいのことはわきまえててほしいなと願うからだ。本当に当たり前の
[次のページ]
戻る 編 削 Point(4)