ツッコミキャラは耐えまくる。−仲仲治さんに/佐々宝砂
は全くあり得ない。主人公が一人称で主観的なことを語るようになったのは、近代以降の話である。
しかし、近代以降の一人称小説であっても、「話者=主人公」とは限らない。私にもそういうところがあるが、主人公に語らせることを苦手とする作家がいる。SF作家なのでそうメジャーではないが、梶尾真治がまさに好例である。梶尾の出世作「美亜へ贈る真珠」の主人公はタイトルにある通り美亜という女性、しかし物語の語り手は美亜やその恋愛の相手ではなく、彼らを傍観している、物語の外にある人間だ。なぜ美亜やその恋人に語らせないのかって?あーた、そんなこと訊くなよ、野暮だね、照れくさいからに決まってるじゃないかw というのが真
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