明治の文章に関する駄文/佐々宝砂
 
にたるものと役に立ぬ人物と放心したる隠居と冷たき論者と偏屈なる学者との極めて多きにつけ、吾人が一種の理想人を思ふこと頗る切なり。而して今の歌よみの只だ古しへに真似ることと、洋学者を罵ることと、天仁波(てには)の講釈をすることと、三十一文字を並べることとの外に知らぬに付けて、吾人が懐く所ろの此の思ひは更らにいよいよ切なり。左らば何をか思ふ、云く真成の詩人を懇望すること日に益(ますま)す切にてありなり。

抑そも真成の詩人なるものは決して今の人々が通例に想像するが如きものにあらず、若し心に思ふ丈けをすらすらと詠み出で、枕詞を台にして「らん」「ける」と甘(う)まく転結し、シヤレを巧みにして言ひ懸けを
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