確信犯について/佐々宝砂
 
信じている。しかし私は自分の「正しさ」を信じない。私は始終間違いばっかやらかす。まあ人間はそういうもんだと思う。私は自分の行為を「正当な行為」だと信じきることができないし、また、自分は間違える人間なのだと思うことによって自分を赦すと同時に戒めたいと思っている(ところで私が死刑に反対しているのは、「国家も間違う」と考えているからである。死刑したあとで「まちがってましたーすんません」では通らん)。

いやもしかしてこーゆー私の考えも「信念」の一種かもしれん。私が犯罪を犯すとしたら、それも確信犯として犯すとしたら、たぶん徴兵忌避か納税拒否だと思う(しかし現実問題、徴兵忌避はねえだろうなあ)。私の罪は
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