確信犯について/佐々宝砂
みを肯定するひとでも、ふつう、殺人は肯定しないと思う。もっとも世の中には例外があって、死刑とか戦争とか安楽死とか、「避けられない」ことになってる殺人の形態もある(ちなみに私は死刑反対論者である。安楽死については考えを保留している)。
まあこのみっつを全部同一に話題にするわけにはいかないので、戦争の話に限定したいと思うんだけど、考えてみたら戦争こそは「確信犯」なんじゃないのか。たとえば……宗教的な使命感に基づいて、貿易センタービルに飛行機を突っ込む。政治的な義務感に基づいて、イラクを爆撃する。どっちも似たよーな意味で「確信犯」だと思う。どっちも自分がとっても正しいと信じている。
私は自分
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