視界が開ける瞬間 ??望月遊馬『海の大公園』について/岡部淳太郎
、い/つまでも、くりかえしている。光がみえて/くると、わたしがくりかえされている」。ここにあるのは「寄る辺ない感情」を抱えながらも決して変えることの出来ない「自分」への確認であり、それゆえの「わたしがくりかえされ」ることへの決意ではないのだろうか。
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詩集の表題作「海の大公園」は「さみしいみちに/あえて転ぶ\(umiの街だ)」という書き出しで始まる。その少し後に「そういう\さみしさだけ、綺麗に/古びているのかな」とあるように、ここでも語り手は「寄る辺ない感情」を抱えてしまっている。また、この後の散文パートで「徐々に海が見える/ことだろう。はたしてそれは、どんな海な/のだろう」とある
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