視界が開ける瞬間 ??望月遊馬『海の大公園』について/岡部淳太郎
撃するだけだ
(「見えぬ先に見えるもの」部分)}
ここでは「見えぬ先に見えるもの」が一種の期待として待たれている。だが、それはまだ諦念のような淋しげな感情の動きによって妨げられている。「なにがみえるのだろう」とおぼろな期待を持ちながらも、「わたしたちの部屋にひらかれる/年月の哀愁のうごきを/目撃するだけ」なのだ。だからこそ、最終連でうたわれているように、まだ見えぬものがその姿を現す時に備えて、「みえぬ先からたぐりよせた/そのものが位置を消すまえに/わたしたちは/しずかに踏み分けられ」なければならないのだ。
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この詩集に収められた詩の中で私のもっとも好きな一篇は「回帰」
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