ヒューム「ベルグソンの芸術論」(1)/藤原 実
 
う態度というのは、つまりコトバを(マルセル・デュシャン(1887-1968)が「泉」という作品で便器から日常的な品物としての価値を剥奪して、ひとつの無目的な事物として提出したように)「オブジェ」としてみるということでした。

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「ダダは何も意味しない!」と叫んで、言語を意味から切り離そうとした彼らの冒険は、未来派とは異なり、一切の価値観の相対化をめざすものだった。「秩序=無秩序、私=非私、肯定=否定」という、ツァラが一九一八年に発明した等式は、あのヨーロッパ近代型の二項対立の失効をすでに宣言していた。意味から切り離された言葉は、主体の意思を伝える便利な道具であることをやめて、文字どお
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