ヒューム「ベルグソンの芸術論」(1)/藤原 実
な記号であることをやめ、シニフィアンがシニィフィエから解放されて浮遊しはじめる可能性がひらかれたからである
(塚原史『言葉のアヴァンギャルド―ダダと未来派の20世紀』:講談社現代新書)
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また、塚原は、18世紀の王権崩壊は王の権力に根拠を与えていた「神」という超越性の凋落も同時に招いたが、権力そのものの超越性はかたちを変えて「理性」となって生き残ったのだ、といいます。
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かつての「神」に代わって、今度は「理性」が近代的権力の超越性を根拠づけるのである。
…王権神授説における国王の場合のように特定の人格中に形象化されることなく、 「自由で平等な市民」
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