最終レレレのレッ!(付、遠州方言)/佐々宝砂
 
れた話し言葉の文学が書かれるようになり、今は方言で書こうが話し言葉で書こうが誰も気にしない。まあそんなものだ。「ら抜き」「れ足す」使用を主張するならば、それを使ってすげー文学を書いてみろ。「あめゆじゅとてちてけんじゃ」が私を感動させたように、私を「食べれない」で感動させてみろ。そのとき人々は完璧に「ら抜き」を認めざるを得なくなるだろう。だが、言葉の変化は、ただ表面的な言葉の変化だけにとどまるわけではない。明治の言文一致が新しい思想とスタイルを生んだように、表現方法と思想は常に結びついているものだ。ではいったい「ら抜き」の思想とはなんなんだろう。私にはわからない。私の思想は「ら抜き」でないからだ。
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