近代詩再読 村野四郎/岡部淳太郎
 

 一九四二年に刊行された『抒情飛行』からの一篇だが、ここに表出された乾いた孤独感はどうだろう。ここでもべたべたした感傷は存在せず、その抒情はひたすらに乾いているのだが、乾いているがゆえに静かに迫る何かがここにはある。「私はたえず/私をうち消すものの中に生きた」と語る痛切さは、読む者の身に静かに迫って何らかの決意を促してくるようでもある。何も「新即物主義」などという言葉を聞いておじけづく必要はない。この孤独感は誰でもが共有出来るものだろう。無心になって、詩人の乾いた声に耳を傾ければよい。
 戦後に書かれた詩の中では恐らく最も有名であろうと思われる「鹿」(『亡羊記』一九五九年所収)も、そうした孤
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