続々々レレレのレッ!/佐々宝砂
 
は相対的なものだ。独裁者が「正しい」と言えば「正しい」。無理が通れば道理は引っ込む。いや、無理が道理になって、道理が無理になる。「食べれる」という可能の表現が正しくなれば、今度は「食べられる」という可能表現が間違ったものになる。「行けれる」が正しくなれば、「行ける」という可能動詞は消える。「隠しさせる」が正しい世界では、「隠せる」「咲かす」などの他動詞は存在しなくなる。そんな大げさな!とおっしゃいますか? いや、私は大げさではないと思う。すでに「見られる」という可能表現を間違いと感じ、「ら抜き」の「見れる」こそが正しいのだと感じる人種があらわれている。我が夫が「未然形+可能助動詞れる」を間違いと感
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