サハリーニャ/クリ
 
千代を同行させるのは、不可能だったろう。気がつくと一家はタラップを進んでいた。何本もの腕が伸びて一家の背中を強く押したからだ。それに怒声が混じった。父親が振り返った。「誰か姉さんが来るから…」それは、慰めにしか聞こえなかったろう。珠恵は千代を見た。千代も珠恵を見ていた。千代はそれ以上開けないほど大きく目を瞠いていた。珠恵はタラップが尽きるまで千代を見ていた。そして千代は視界から消えた。
 ごった返す甲板の上で、多少なりとも移動することは困難だった。珠恵は千代の姿を見たいと思ったが、到底できることではなかった。しかし千代の声は聞こえた。千代は泣き叫んでいた。何と叫んでいるのかは聞き取れなかった。
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