消費と熟練工(加筆訂正)/佐々宝砂
るものをつくっているのではなく、自らが消費者(紙や印刷サービスやインターネットサービスの消費者)になっているだけではないのか?
しかし念のため言っておけば、もちろん、どんな立派なすごい詩であろうとも、紙や印刷サービスやインターネットサービスを消費したうえでなければ流通しない。今の世の中、詩人だって芸術家だって消費者なのである。お互いどうしで生産し消費し続けているコミケのようなものだって、私は好きだし、そういった場所には、通常の生産→消費のサイクルとはまた違うサイクルが存在していると信じている。そうした場所にこそ、未来はあるのかもしれないと思う。
この小論(論とゆーほどのもんでねーが)
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