消費と熟練工(加筆訂正)/佐々宝砂
く口に出してないとは言わないが、なるべく出さないようにしている)。私は、あるひとりの人間を「くだんねー」「つまんねー」と断罪できる人間ではない。そういうことはしたくない。これが、小説読者としてはきわめてわがままな消費者である私が、詩の読者としてはわがままな消費者になれないひとつの理由だ。
それでも、金を払って買った詩集になら、私にも文句が言える。私は購買者だ。読者だ。金払った読者はカミサマだ。えらいのだ。でも、実を言えば、現在私が読んでる詩の大半は、金で売られているものではない。それらは、ほぼ無料のものとして(実際には完璧に無料なわけではないが、ほぼ無料のものとして)提供される。ネットのうえ
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