消費と熟練工(加筆訂正)/佐々宝砂
 
者はいるのだろうか。もちろん少ないながらもいるからこそ、本屋では少ないながらも詩集が売られており、図書館には少ないながらも詩集が並んでいる。極端に本好きで本を大量消費するとはいえフツーの市井の読者だった私自身、少ないながらも詩集を読んでいた(念のため書いておくが、それは、私が詩を書き出す以前の話である。私は詩の作者である前に読者であった)。フツーの消費者として読んでいたわけだから、「なんだこのクソくだんねー詩」と思うこともあったし、「うわーすげー尊敬」と思うこともあったし、気分次第では20ページ読んだだけで「まだ一人も死なない、つまらない」と思うことすらあった。しかし、内心で思うだけで、表にはあま
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