子どもの「純真さ」について/アシタバ
 
毛な疚しさへと陥らせます。ニーチェの「奴隷の言葉」はこの意味で理解されねばなりません。ニーチェも詩人としてそのようなノスタルジーに似た何物かを詠ったことでもあるでしょうが、そのノスタルジーは決定的に退路を絶たれたもののノスタルジー、前方に向かって超出し続けなくてはならないような回帰、でもあったわけです。この前方に向かって超出していくノスタルジーの好例として、私はティラノザウルス氏の『帰宅』という詩に書かれた
 
 坂が
 約束みたいに
 静止しながら
 上にのびていく


 のびていく

 のびていく

 のびていく
 
 という箇所での「のびていく」の三回の反復のこと
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