子どもの「純真さ」について/アシタバ
 
り、詩という言表行為(というよりむしろ記述)を本然的に純真なものとし、その他の言表行為(記述)を「純真でないもの」と見做す態度です。それらの詩作の主な基調はノスタルジーであり、またそうならざるを得ません。たかだか子どもの現実から数年、あるいは数十年かもしれませんが隔たっただけで、その現実を黙殺して何か甘美な不在郷のことでも語るみたいに、言外の倍音を調律し「汚れちまった悲しみ」の歌を歌うといった趣きがある気がします。
 ここでノスタルジーが批判されるべきなのは、嘘を糊塗するデマゴーグとして機能するからです。嘘をつくことにはある種の快感がともなうかも知れませんが、それを糊塗することは、自他共に不毛な
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