嘘とパラドクス/アシタバ
いることは矛盾しません。どちらもが呈している問い、それは小説(とひとまず限定しておきましょう)の語りに集約する言表行為のいかがわしさを際立たせることによってなされているのですから。
パラドクスは現実との齟齬を話者の介在なしに提出します。それは一種の嘘には違いないのですが、意味自体は単一で、動かしようがありません。そしてそれが明らかに認められないことのうえに成り立っています(もちろん数学という奥の手によって逆転されるのですが)。しかし、小説における(詩においても)嘘は、現実との齟齬というかたちでではなく、小説(詩)を成り立たせている言表全体に波及し、ついには話者自体の恣意性にまで及んでいます
[次のページ]
戻る 編 削 Point(0)