嘘とパラドクス/アシタバ
ます。そして私たちは、「虫=ザムザ」のように、「猫(名前はまだない)」のように、ある日突然にその言表のいかがわしさのうちに投げ込まれて、「正しさ」や「思慮深さ」といった見かけで、本源的ないかがわしさを紛らせたりするわけです。だから「吾輩は猫である」に追従して「吾輩も猫である」とか「吾輩は犬である」とかいう具にもつかない(かどうかは読んだことがないのでわからないが)小説が世に出回ったときに、何故かその種のいかがわしさとは自身は本源的に無縁であると思い込んでいたらしい森鴎外が、まるで人事でないような真面目腐った怒りを、何かの機会に書き付けていたりもするのですが、そのようなおせっかいな教養人らしくもったいぶった文章のうちで、面白かったのはそれらの題名の部分だけだったりもするわけです。
あまりの取りとめもなさに自身でも呆れますが、最後まで読んでいただいた方に感謝しつつ唐突ですが終わりにしたいと思います。
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