嘘とパラドクス/アシタバ
 
れている場合は嘘とは呼ばれないというところだけ、心に留めておいて、「夏目漱石の猫」の方に移りたいと思います。
 ご存知のように、漱石は小説のなかで猫を描いているわけではありません。「吾輩は猫である」と書いているのです。しかもその猫は死ぬまで名前もないままなのです。しかし小説を読むもので、話者=主人公が猫であるということを本気で信じるものはいないでしょう。その意味で吾輩=猫という断定は、嘘であるほかないでしょう。その嘘つきである話者が、「中学の英語教師苦沙弥先生の家に集まる太平の文化人たち、またその身辺に起きるさまざまな小事件を猫の眼を通して痛烈かつユーモラスに」話す内容については、しかし一概には
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