野田秀樹『贋作 罪と罰』を観る/田代深子
 
動を改めるわけもなく泣くばかりだ。理論など通じない相手なのである。ラスコーリニコフが〈大地に接吻〉したのは、ソーニャに説得され彼女を正しいと思ってしたわけではなかった。自分が自分の理論に正しく従わない行為によって道を踏み外し、敗北したからだと考えてのことだ。そしてあまりに苦しみが強かったからでもある。ソーニャは理論的に“正当な結果”など見通さず、自己犠牲行為にのみ没入する、苦しみを苦しみのまま丸飲みする人間である。そして結局その在り方だけが、苦しみを自己と同化して沈静させ、自身の世界を変えうるのだとラスコーリニコフが気づくのは、シベリアに行ってからのことだった。
 『贋作』にはソーニャがいない。
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