野田秀樹『贋作 罪と罰』を観る/田代深子
 
まだったので少し残念だった」という。〈十字路に跪いて大地に接吻〉のところだ。彼は「十字路」を当然十字架のメタファとして考えていたし、他の翻訳作品を読むときでも、いつもキリスト教圏の文学を本当に理解はできていないと感じるのだそうだ。『罪と罰』において最も重要なテーマは「なぜ人を殺してはならないのか」という問いかけそのもので、ドストエフスキーにおいてはそれがキリスト教的世界観の中で突きつめられていくのだが、野田秀樹の『贋作』では、するりとかわされてしまった感があるのだと。
 わたしはドストエフスキーの問いかけや一応の結論が、キリスト教的世界観でのみ適用されるものではないと感じている。しかし野田の『贋
[次のページ]
戻る   Point(6)