九鬼周造著『日本詩の押韻』再読/狸亭
 
可能性が外国文学の刺激によつて発 揮されたのであるといふことが出来る。仮に若し日本語の押韻が外国 文学を機縁として可能性から現実性へ移るとしても、そこには何等の 忌避すべき事実も見られない。をれよりむしろ、東洋に起源を有つ押 韻の法を、西洋に委ねて顧みず、押韻の採用を西洋の模倣の如く考へ ることが、甚だしく自己を忘却した行き方である。
 (「押韻の日本性と世界性」全集第四巻439頁ー441頁)                                    この拙いダイジェストでは九鬼周造が十余年を費やして完成した名著の表面を掠った程度でありまして、どこまでその深い内容を伝え得たか、まこと
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