九鬼周造著『日本詩の押韻』再読/狸亭
 
格も。第三の文の構造も、いづれも難点は単に程度の問題 に過ぎない。しかもその程度は、押韻の実際に当つては、抽象的に考 へてゐた程のものではない。それに反して脚韻を踏むか踏まぬかとい ふことは、芸術上の一形式を成立させるかさせないかといふことで、 そこには単なる程度上ではない性質上の差異が生じてくるのである。 詩が新しい形式を一つ獲得することは、武器が一つ加はつたことを意 味する。(中略)私が真に理解に苦しむのは、日本の詩人たちのうち に押韻反対論を述べる人の少なくないことである。(中略)伝統をた だ古い姿で墨守してゐさえすればそれでいいのではない。伝統に従ひ ながら伝統を豊富にして行くことが詩人の
[次のページ]
戻る   Point(6)