九鬼周造著『日本詩の押韻』再読/狸亭
 
来易い。
 これらの例として、人麿、藤村、柳虹、省吾、冬彦の作例を挙げ、更に米山保三郎、三好達治の日本語文の構造上の押韻に対する欠陥の指摘をも引いた上で「体言を自由に詩句の終りに置き得る西洋語にあっても必ずしも常に体言が詩韻の大部分を占めないで、用言相互間の押韻が多い事実」を挙げて更に日本の詩の例をも列挙していきます。ゲーテ、リルケ、貫之、光太郎、蔵原伸二郎、白秋、三好達治、百田宗治そして子規の『新體詩押韻の事』等等を引き、上記の(一)(二)(三)への反証をして見せてくれます。そして次の様に締めくくるのです。

  日本詩の押韻可能性に対する反対理由である第一の文字も、第二の 音声学的性格も
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