九鬼周造著『日本詩の押韻』再読/狸亭
 
再び取戻してくれたことを意味してゐる。」と論じています。この辺りは九鬼の時代と、TVなどの視聴覚文明、デジタルなヴァーチャルリアリテーに席巻されつつある今日ではニュアンスの違いがありましょうが、昨今の詩の朗読などを聴いていますと音声になった言葉と文字としての言葉を各自がどれほど意識的に使い分けているか疑問です。聴覚上の韻と文字上の韻との合体の見事な例として九鬼は芭蕉の次の句を挙げています。

 奈良七重七堂伽藍八重櫻

 さて、「音声」の問題です。文章では長くなりますから九鬼の調査による英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語、イタリー語と日本語の母音に対する子音の割合を図式的に見ることにしま
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