九鬼周造著『日本詩の押韻』再読/狸亭
なく、未来にあるのである。歴史そのものが問題ではなく、詩作が問題である。」と言っているのです。ここに加えておきたいのですが、奈良朝での藤原濱成の『歌經標式』と平安朝の藤原清輔『奥義抄』の位置付けです。それは「わが国古来の詩歌の中で、句尾の押韻が明らかに意識的に試みられた事実」として、九鬼の押韻論を支える柱の一つがあることです。
四 日本詩の押韻可能性、消極的理由
(イ)文字
五 (ロ)音声学的性格
六 (ハ)文の構造
この第四章から六章までは、九鬼が「押韻発達の可能性を信ずる消極的理由」としてこれは「反対の理由として想像されるものが成立しないと思惟す
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