九鬼周造著『日本詩の押韻』再読/狸亭
 
「詩を作り終りて常に感ずることは、我国の詩に押韻の体 なきために、句の独立性の確実に対する不安なり。散文の横書きにあ らずやと云ふ非難は、放縱なる自由詩の何れにも伴ふが如し。この欠 点を救ひて押韻の新體を試みるの風起らんこと、我が年久しき願ひな り」(『晶子詩篇全集』「小鳥の巣」の序)と云ってゐる。(「不定 詩と押韻」全集第四巻244〜245頁)

 その頃、時を同じくして北川冬彦の「新散文詩運動」が起こったことが思い出されます。北川の論は「ポエム」の形式があまりに放縱なので、逆に真の「ポエジー」を判別するために「新散文詩」を提唱したものでありました。九鬼はこの章で、ヴェルハアレン、李白、西條
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