仄かな言葉/白石昇
音声を感じることさえできればまだ、講義や授業は聴くことができるし、かなりの知識を蓄積することもできる。わたしにとっての問題は使える器官や機能の数ではなく、その限られたものの使い方だった。しかし、それにも限度があった。器官や機能を限定される、ということは、知識を吸収するための媒体を制限されると言うことだった。わたしは科学者になりたい、という気持ちを封印する気はなかったが、その事については極力考えないようにした。考えない方が楽だった。
転校することになったのも、授業を聴くことができなくなったせいだった。今までと同じ方法で同じ媒体を使って知識を吸収できなくなった以上、それはしようがないことだった
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