清らかさと性について/渡邉建志
、美化し続けてきたほんものの彼女に出会ったギャツビーが、その興奮の冷めた後、美化し続けてきたその時間の贅沢さをふと思うようなシーン、そして美化してきた姿と現実との少しの乖離について考えるシーンがあったような記憶が有るのですが、そうした物事について考えたいのです。例えばもし僕が僕の永遠の憧れであるAという女の子に今もう一度会えたとして、がっかりしないだろうか、ということです。普通の子になってしまって、と思わないだろうか、ということです。彼女の処女性について何かを思わないかということです。フォークナーが「響きと怒り」の中で、処女性が重要なのは男にとってであって、女にとってではない、とある種の極言をして
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