ある美しい愛の固定観念について/「智恵子抄」をとにかく読む(1)/渡邉建志
います。無意味に負けているのだと。このときに、光太郎は潔白な人間ですから、おそらく「男」に自分自身を含めることを、当然として認めるでしょう。つまり、光太郎にとって智恵子は結婚対象ではない、恋愛対象でもない、実は崇拝対象なのだといえるでしょう。こういった、女の子を崇め奉りまくる姿勢、ぼく大好きです。現代では絶滅の危機にある恋愛の形です。まさに、光太郎にとって智恵子はベアトリーチェだったのではないかと思います。そして、そのベアトリーチェが普通の男(ひょっとするとこの詩の目的はただ相手の男を貶したいだけなのかも知れませんが)に嫁ぐということを、いけないことだと言っているのです。たぶん彼は嫉妬しているので
[次のページ]
[グループ]
戻る 編 削 Point(6)