名作は天然である/岡部淳太郎
 
いたように思える。吉増剛造の『出発』『黄金詩篇』などもけっこう天然に見える。これらの詩人たちは、天然の詩を書くことが出来なくなったからこそ、後年になって(天然の詩を諦めて)、努力で詩を書くようになったのではないだろうか(田村隆一の場合は、あまり努力しているようには見えない。むしろ、自分が気楽に書けるスタイルを見つけたので、その中に安住しているという感じを受ける)。
 何を言いたいのか、自分でもよくわからなくなってきているみたいだ。だが、僕が以前言ったことと矛盾はしていないと思う。以前書いた「詩を読まない詩人への手紙」の中で、僕は他人の詩を読むことの重要性を説いたが、それを「努力の重要さ」と受け取
[次のページ]
戻る   Point(8)