オリジナリティの範囲---片岡直子さんをダシにして/藤原 実
 
ると、わたしというのは「たとえば…」の寄せ集めのようなものだ、と言ってみることができそうに思います。
片岡さんの言う「真似をするとか、なぞるとか、黙って持ってくる」というのは、ぼくたちの存在そのもののことではないでしょうか。

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ところで、二十歳を越したばかりで深酷であり、同時に個性の限界を忠実に守ろうとするならば、その過大な要求は現実の個人の能力の堰を越えて横流れに流れるよりほかにはない。ということは必然に他人の畠を犯さざるを得ないということである。他人の畠を犯しながらそれを告白しようとしない役者は、必然にみずからの地金でないところの深酷劇を演ぜざるを得ない。だからこの場合には、
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