「彼は、いちども《まことしやか》に書こうとはしなかった。言語という奇怪な疑似自然に心をゆだねるには、いつもその疑似性を逆手にとる手管をもってするほかはない、という事実を徹底的にどこかで承知していたからであった。言語に対する醒めた《わざとらしい》つきあいかたが、けっきょくは、反語的に《まこと》を造形する方法である---それを一貫して実行しつづけたたぐいまれな作家が漱石であった---。」