詩の境界線(最終更新9/16.2008)/佐々宝砂
苔
鶏鳴
石神
水無限 (高柳重信)
行分け詩ならぬ行分け俳句(余談だがこの俳句は「しりとり」になっている)。季語もなけりゃ定型にもなっていない、しかし確かにリズムと詩情を持っているこの漢字ばかりの4行は、いったいなにゆえ俳句なのだろうか。あっさり答を書くと、それは、作者自身が「これは俳句だ」と主張しているからに他ならない。作者が俳句という形式を愛し、俳句の世界に棲息してゆこうと決意し、他にもいろいろ表現方法はあるだろうにわざわざ俳句を選んだからこそ、この4行は俳句なのだ。今だって、普通の俳句結社で、これを俳句だと主張するには勇気がいる。しかし、高柳重信は、それまで試みた人のいない行分
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