昔の駄文「他者の発見」/佐々宝砂
 
にいるという意識はさらに強くなっている。私は黄色人種(白人中心の視点からすれば周縁)で、日本人(西洋中心の世界からすれば周縁)で、クリスチャン(現在の日本人の多数が無宗教か自覚のない仏教徒であることを考えると周縁)だから。

周縁にいる私は「中心」を想像した。自分がそこに属しているとは思われない世界の「中心」を想像した。想像しないでも周縁で生きてゆくことはできる。狭い世界で自分の位置を確保していれば、そこが自分にとっての「中心」であって、自分以外の「中心」のことなど考えなくても生きてゆける。しかし私は狭い世界の中ですら、自分の位置を確保できなかった。心臓が悪くて外で遊べなかった私の世界は、子供
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