セカチューのリアル<村上春樹/セカチュー/となり町戦争>とランボーの埋葬:切り貼り/がらんどう
 
」において始めてメディアにのせられるのである。(そして宮崎事件が1989年。その事件にコミットしていくことになる大塚英志が『少女民俗学』を書いたのも1989年である。同年には中沢新一の『チベットのモーツァルト』も出ている。つまり、そこには「ニューアカ」という文脈もまたあったのである。)

奇しくも神戸で博覧会が開かれた1981年に出版された『なんとなくクリスタル』は脚注のほうが本体であるという当時としてはあまりにも先鋭的な手法でマスカルチャーに規定された我々の生活を描いたわけであるが、これにしても意外にテレビそれ自体の影は薄い。テレビ的であると言うよりは「カタログ的」「雑誌的」である。(ちなみ
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