セカチューのリアル<村上春樹/セカチュー/となり町戦争>とランボーの埋葬:切り貼り/がらんどう
えに『風の歌を「聴け」』であり「カセットテープ」なのである。彼らが「失った」と考える「リアル」とは「聴覚的」なものなのである。
だが「テレビ」と同様に忘れてはいけないこと、それは「1986年」に『ドラゴンクエスト』が発売され、それから「テレビ」は「ゲーム」にその座を譲るようになったことである。その「テレビからゲームへの移行」と「リアルでないのがリアル」という感覚は密接に関係している。それは「プログラムによって捏造された視覚」つまり「目に映るものすらその根拠を持たない」という感覚である。その感覚は我々に「テレビですらリアルでない」という認識を与え「9・11」・・・うんぬん。そういうのは語られす
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