セカチューのリアル<村上春樹/セカチュー/となり町戦争>とランボーの埋葬:切り貼り/がらんどう
 
ラジオ」(番組へのハガキの投稿)という小道具が印象的に用いられている作品を我々は知っているはずだ。そう、村上春樹の『風の歌を聴け』である。村上の初期作品において見られる「すべては失われてしまった。その失われた世界に僕たちは生きている」とでもいうかのような「雰囲気」をセカチューもまた継承している。だから、セカチューを「失う」物語とするのは誤読であろう、それは「すでに失っている」物語なのである。そしてそれゆえに、失った「と考える」ものへの「回想」であるゆえに、過去は美化されるのだ。もちろん『風の歌を聴け』の舞台となっているのは「1970年」である。

「1970年」、それは「大阪万博」の年である(
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