組詩「二宮」/岡部淳太郎
 
ただの暇つぶし
思い出を巡るのも
そのために脚を弱らせるのも
またよし
その挙句に
一篇の人生が生まれれば
なおよし
それは無償の生
何ひとつ殺さずにすむ生だ
(ただし 自らの生を除いて)


?

脚を病むことは
論理的に考えても
情緒的に考えても
つらいことに違いあるまい
だが だからといってそれが
この小さな山を断念することの理由にはならない
はずであるのだが

(おまえは釜の底のような峠公園のベンチに坐って、安らいでいる場合ではないはずだ。坐って、ごまかして、さみどりにおう、などと鼻歌を歌っては、歌の言葉をパズルのように組み合わせている場合ではな
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