組詩「二宮」/岡部淳太郎
揺れている
脚の弱いためではなく
揺れて来る
塩の味の観念でさえも
彼の思い出を揺らしはしない
?
脚の弱った男曰く、
縁起でもない。心臓破りの、脚つぶしの坂を行ったり来たりして、その挙句に一篇の詩が生まれるとは。かつて、一篇の詩を生むために、多くのものを殺してきた、大酒呑みのように、弱った脚を殺す覚悟で、思い出を巡らなければならないのか。思い出はただ、その重量で行先を決定してしまうというのに、道はどこへでも通じてなど、いるものか。道はいつも、ひとつの場所、たったひとつの個人の(故人の?)場所にしか通じていないというのに、ああ、縁起でもないことだ。
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