組詩「二宮」/岡部淳太郎
ちの骨のむせる臭いが
漂ってくるのだ
脚を棒にして、脚を藁にして、ますます狭くなるこの土地を歩き回って、北が来た、南が来た、などと言っているうちに、時は循環し、彼等はおまえが役に立ちたいと思っているのとは違う世界にいるから、もう意味などない。脚の弱った男の、感傷の角度にも、鋭角にも鈍角にも、すべて意味はない。だが、思い出を語ることに(あるいは騙ることに)、もともと意味などなく、思い出の、存在しないふるさとの虚ろな中心を公転することにも意味はなく、おまえの脚がいくら弱ったところで、町はいまの姿のまま、いまを(あるいは過去も)内包したまま、進んでゆくだけだ。鷲も不死鳥も、この町と隣の町の比翼の
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