我も行人秋のくれ/藤原 実
 
たわけですが、あるいは草田男がすでに名をなした俳人であるのに対して、志賀芥子の方は無名の一投稿少年にすぎなかったという立場の違いがこういう結果になったのかもしれないとも思うのです。これが立場が逆だったら、つまり芥子の方が高名な俳人で、草田男が無名の投稿俳人だったら・・・・・・、という場合です。おそらく「降る雪や」の句は投稿されてきた時点で選者によって、芥子の句の類句であるとして黙殺されたかもしれません。その場合には「降る雪や」という名句はその存在さえ、だれにも知られず闇に消えるわけです。そしてその場合、「獺祭忌」という平凡な句がオリジナルな輝きとかいうものを放って、今日まで愛吟される------と
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