我も行人秋のくれ/藤原 実
」というのが春の季語になっているように、「草青みたり」というのは夏草の形容としては、ちょっとズレている。また杜甫の原詩は案禄山の乱のただなかで現況をよんだもので、けっして「夏草や・・・・・・」の句のような回顧的な光景ではないそうです。そこで尾形さんは湖伯雨というひとの『望准』という詩の「白骨城辺草自ラ青シ(白骨の散り敷いている城辺に草が青い)」という一節をひっぱってくる。
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芭蕉は、杜甫の「城春ニシテ草木深シ」の詩句を湖伯雨の詩句とないまぜにすることによって「草青みたり」と改め、そうすることによって全体を古戦場回顧の情景に変えている、その文学的嘘のおもしろさ、古詩の世界
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