霧の様な死あるいはナルシシズムについて/立原道造を読む/渡邉建志
で話している道造がかわいらしく、なんかちょっとシューベルトの歌曲みたいだ(勝手なイメージ。セレナーデだし、さ)。寝息が唄のよう、というのはいいのですが、その唄をどうやってまねてうたったのか、気になるところです。多分それはたいへん、まづいものなのでしょう。現代の普通の神経としては恥ずかしくてやってられないのですが、なにしろ1930年代の話ですし、そこにどっぷりとつかってみると、とても美しく読めてくるのでした。しかしこれを今書くことは至難の業だとも思います。
四 薄明、について
ああ 何もかも美しい! 私の身体の
外に 私を囲んで暖く香よくにほふひと
また、香りによっ
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