入沢康夫(「現在詩」の始まり)/岡部淳太郎
 
や「四十番の二」といった数字が必要なのか、何故「干物のにしん」をかかえているのか、どこにも合理的な説明はなされていない。しかし、読者はそこに奇妙な魅力を感じ取ってしまう。どこかの団地に美しい女が住んでいて、同じ団地の別の部屋には「片輪の猿」が住んでいて、語り手は女の部屋には向かわずに、あえて「片輪の猿」の部屋に向かう。「干物のにしん」という土産物を携えて。
 深読みしてみれば、これもまた「失題詩篇」と同じように詩人がどんな詩を書くかの宣言になっているのかもしれない。美しい女に代表されるようなまっとうな抒情性の方には向かわずに、「片輪の猿」のような奇妙な抒情をつくり出そうという宣言のようにも思えて
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